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2013-11-14 00:03 | カテゴリ:ドラマ
明日はやっと木曜日、第6話放送の日ですので、
今日はもう一度第5話の復習をしてみました。

冒頭の作家・詩人ピエトロ・アレティーノの言葉
「賢者とは、
  たえず妻をめとろうと考えながら
  けっして誰とも結婚しない
  青年のことである。」
という言葉が、もし星野守という人を指しているのならば、
守さんに結婚という結末はあるのだろうか、
と考え込んでしまいました。

ドラマの最後にもう一度言った
「だから僕には結婚は必要ないんです。」って言った時の
守さんの氷のような冷たいまなざしは、
一時、ゆきさんという女性に触れて溶けかけていた頑な心が、
「賢者」に引き戻されてしまったように見えたのです。

ピエトロ・アレティーノについて検索してみると、
ルネッサンス期のイタリアの作家・詩人で、
母は何人もの芸術家のモデルとなった美しい遊女で、
ピエトロは孤児院で生まれ、保護者も友人もなく、
まともな教育も受けずに孤独に育った、とあります。
このような名言を残す芸術家には、
やはりそれなりの生い立ちがあるのだなあと思いました。

星野兄弟がどのような生い立ちであったのか、
母がどのような人だったのか、
ドラマの中で描かれなければ、
なぜあのような両極端の兄弟になったのか
わかりづらいですね。
ヤマタノオロチと孤高の賢者。
もしこの兄弟の背景が描かれて行くのならば、
なかなか見応えのある深いドラマということになりますが。

天使に見えたゆきさんが雰囲気に飲まれて進さんとああなるのも、
不完全な人間だからこそ。
そもそも人間とは大なり小なりみんな不完全な生き物なのだから。
でも幼い時に孤独がしみついて、
人間を高みから眺めるようになってしまった賢者は、
そんな愚かな人間たちとは
一線を画すようになってしまうのでしょうね。

期待して裏切られ、期待して裏切られしているうちに、
もう傷つきたくないと「貴族」になってしまうのかもしれません。

オードリー・ヘップバーンの
「ティファニーで朝食を」は、愚かな人間界にまみれてきた
汚れた過去と孤独感を抱えている男女の純愛物語でした。
昔の映画はそんな人間の生々しさをさらりと描く
シャレオツさがあったのですね。

今回の『独身貴族』も第5話は
視聴者を驚かせるシーンで終わりましたが、
愚かな人間喜劇としてはあたりまえといえば
あたりまえに起こりうること。
この人間喜劇の悲哀にどう決着をつけていくのか、
つけられるのか、とくと観せていただきましょう。
守さんは「賢者」のままか、
会社のために「賢者」をあきらめるのか、
愚かな人間世界を受け入れ乗り越え「純愛」にたどりつくのか。

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