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2021-12-16 01:11 | カテゴリ:未分類
第39回『青天を衝け』の「栄一と戦争」では
東京に戻った晩年の徳川慶喜公の姿を
たくさん見ることができました。

栄一たちらの尽力により、公爵にもなり、
渋沢家にも度々訪れていたようですが、
まだまだ世間からの厳しい風当たりが残っており、
底知れない憂いを纏った表情をしています。

それでも年老いた尾高惇忠に対し、
「長く生きて国に尽くされ言葉もない。
 残され生き続けることが、
 どれほど苦であったことか、
 私は労う立場にないが、
 尊いことと感服している」と
殉死した渋沢平九郎の名前も出して
心からの労いの言葉をかける様子が、
長い年月、国や幕臣たちを
思い続けていたことがわかる上様らしく、
兄いの感極まる様子がとても印象的でした。

栄一が病に倒れ死の淵にあった時には、
「そなただけはどうか尽未来際生きてくれ。
 生きてくれたらなんでも話そう。
 なんでも話す。 
 そなたともっと話がしたいのだ。
 だから死なないでくれ。」と
熱い気持ちで栄一に懇願しました。

平岡円四郎の使った「尽未来際」という言葉で
栄一に語りかけたのは、慶喜公にとって
円四郎を失ったことの悲しみの大きさと
栄一のかけがえのなさを象徴しています。

慶喜公が見舞った後、実際渋沢栄一は
みるみる回復したというのも史実らしく、
慶喜公と渋沢栄一の絆は
本当に強固なものだったのですね。

栄一が主宰した徳川慶喜公を囲んでの聞き取りでは、
慶喜公の複雑な心境が万感の思いを込めて、
切々と語られました。

慶喜公が入場して来た時の歩き方や猫背の感じが
老人らしくかつ品位があって場が一気に締まりました。
(どことなくタモリさんの歩き方に似ていたので、
高齢のお友達が多い剛君の研究の成果かもしれません。)

「ありがたいが汚名が雪がれることは望まぬ。
 事実、私はなすすべもなく逃げたのだ。」と
猪飼さんの言葉を遮って話し始めた慶喜公。
その後の独白は、
「そんな単純なものではないのだ」と
篤二に言ったように、
まさに歴史の狭間で追い詰められた将軍の複雑な境地。
誰がなんと言おうと戦いに突き進んでしまう人間の欲望を
恐怖と絶望と痛みとともに思い出しながら語る慶喜公。

渋みのある低音ボイスで
緩急、間合い、息遣いも細やかに
淀みなく語っていく草彅慶喜。
万感の思いで懺悔の言葉を述べ、
冷静な目で自分に課せられた役割について分析もする。
語り方も、語る内容も、
長い年月をかけて熟慮し
自問自答を重ねてきた所以の感慨。
戦いの火種とならないように
自らが生まれ持った過ぎる輝きを消し、
命を落とした幕臣たちに鎮魂の祈りを捧げた日々。
そして、やはり思う日本国の行末。
平和への希求。

主君の独白を聞いて「自らの役割」に
あらためて思いが至る渋沢栄一。
残りの人生をかけてなすべきことは何であるのか。
尊敬する主君の思いに応えることは何であるのか。

私も人間としてハッとさせられるような
気づきがありました。
それほどまでに慶喜公の語りには
人間の本質を突いた真理が込められていましたから。

それにしても草彅慶喜の語りは重厚感があり、
年輪を感じさせる説得力と品位がありました。
剛君(と呼べないほどに)、場を支配し、
人々の胸に染み入るように語りました。
本当に、いつの間に、あれほどの風格で
こんな語りができるようになったのでしょう。

でも、昔からその片鱗はありましたね。
『僕の生きる道』での「読まなかった本の話」とか。
それにしても草彅剛の語りは
どうしてこんなに沁みるのでしょう・・・。

重厚な語りを何度もリフレインしていると、
高倉健さんや大杉漣さんやタモリさんの
お姿がふっと浮かんだりします。
剛君、尊敬する人生の大先輩たちの姿から
いっぱいいっぱい吸収したことがあるのでしょうね。
大好きな先輩たちから教わったことが
一つ一つこうやって結晶として現れてきますね。

あらためて思っちゃったのです。
草彅剛さんが俳優として背負っている大きな役割を。
やはり貴方からは優しさや平和の匂いがします。

とにかく俳優草彅剛の本領発揮が嬉しいです。
表には出さなくても、剛君が努力と研究を怠らず
お芝居に真摯に向かい合っていることが伝わって来ます。

後2回になってしまった『青天を衝け』も
寂しさを感じつつ、しっかり見届けます!


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