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2021-09-27 16:32 | カテゴリ:未分類
若い時の剛君の演技の中でも
特に惹きつけられたのは、
時にスパークするピュアな感性、
勢いのある感情の爆発でした。
そんな中でも、
それとは対照的な静かな語り、
感情を湛えた目だけの演技も秀逸で、
剛君の演技の強弱のバランスの良さを、
その変化を味わい楽しんできたと思います。

でも、『ミッドナイトスワン』以降の
剛君の演技はさらに細やかに
進化または深化したように感じます。

『ミッドナイトスワン 』では性別の境を、
『ぺぺロンチーノ』では現実と非現実の境を
『青天を衝け』は時空の境を越えていく感じ。

感情の爆発と静の演技という区別もない世界。
説明のつかない得体の知れない感情が
心のままに自然と浮かび上がってくるような表情。
間を取って演技をするというような
技巧的なものではない、
感情や意識、存在そのものが
その場の空気を支配する集中力が
とてつもないのです。

第28回『青天を衝け』
篤太夫と八百万の神」での
慶喜公と渋沢篤太夫の主従としての別れの場面。
あの場面だけでもどれだけ
フェーズが変わっていったでしょう。

新政府への批判をとうとうと述べる
篤大夫の話を聴きながら
横を向いたまま顔を曇らせていく慶喜公。
「ここは良いが外では気をつけよ」
ただただ新政府に目をつけられないよう
命を狙われないよう篤太夫を心配する慶喜公。

国を思い東照神君の偉大さを噛み締めながらも
新政府に疑われないよう
政治から決別する意志を述べる慶喜公。

「行きたいと思っておるのであろう!
 これが最後の命だ。
 この先は日本のために尽くせ。」

水戸藩に渋沢を引き抜かれることは阻止したのに
渋沢篤太夫の本願である
「日本を変えたい。日本のために働きたい」
という思いを見抜き、
新政府への出仕を後押しする慶喜公。
この時は真っ直ぐに篤大夫の目を見つめています。

「元の名とはなんだ」「渋沢栄一と申します」
「渋沢栄一」とつぶやき、
名乗りながら馬を追いかけてきた
渋沢との出会いを回顧する慶喜公。
「そんな名であったかなあ」
この時の懐かしそうに遠い目をする慶喜公に
渋沢栄一も感極まり涙が溢れ出ます。
あの出会いから、2人は共鳴し合い
深い絆で結ばれた主従になったのですから。

「今までありがとうございました。」
「渋沢栄一、大儀であった。息災を祈る」
「はっつ」

顔を庭に向けたまま、
別れの言葉を告げる慶喜公。
本当はそばに置いておきたい
渋沢栄一だったでしょうが、
国のため、渋沢本人のため、
そして2人で見たの夢の続きを託すため、
万感の思いで渋沢栄一を送り出した慶喜公。
寂しさと安堵が入り混じった
沈黙の横顔に胸が震えました。

東照神君に思いを馳せたり、
栄一との出会いの場面を思い起こしたり、
美賀君との数年ぶりの再会に
子どものようなあどけない表情をしたり。
なんか、剛君の表情が
時空を越えていく感じがするのです。
静かな湖面にふわりと風が吹き、
漣が広がっていくような柔らかく繊細な表情。
そんな表情を見ていると
こちらも時空を越えて心が解放されるような
そんな気持ちになるのです。

知らず知らずのうちに私たちは目に見えない傷を
たくさん心に負って生きているような気がします。
なぜ剛君の演技を見続けたいのか。
剛君の演技が、そんな心の傷をそっと癒してくれる。
そんな気がしてなりません。
お芝居の醍醐味って
そういうことなのではないのでしょうか。

剛君は何も考えていないようでやるべき時を
きちんとわかっているプロ中のプロですね。
例えば『ワルイコあつまれ』での徳川慶喜は
コントと芝居の中間を意識したと言っていますし、
「好きの取調室」での演技も、
全力ではあってもリアルなお芝居とは違いました。

進化するエンタテイナー。
だから私は剛君になんでも自由に
挑戦していただきたい。
そしてこれからも剛君のお芝居を楽しみつつ、
人生を深く味わいながら生きていきたいです。


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